平凡だけど日曜日テレビを見る

平凡すぎて特に書くことがない日曜日。
身体が重く頭が痛い。
そして、心は怠く暗く狭い。

二月の記憶が殆ど無い。
初旬に友達のライブを見に行ったことくらいは覚えてる。
あれ? 二月って一日しか無かったんだっけかな?
そうならない為のブログのはずなのに読み返しても他人事のよう。

でも記録しとくのは自分の為には良いと思う。
多少は他人の為にも良いものだと嬉しい。

もっと綺麗なものが書けたらいいのだけれど正直に言えば今の私は綺麗な文章というものが分からない。
レートの高い言葉を使って見た目の美しい詩的とか幻想的なものをもう余り綺麗とは感じられなくなってきている。
正しい言葉使いの文章も綺麗な文章だとは思わない。
内容でも見た目でも言葉使いでもないのだとしたら綺麗な或は美しい文章とは一体何なのか分からなくなってしまった。

何か幻想文学が読みたい気がして川野芽生の本を二冊読んだけど感想が書けずにいる。
たぶん何を書いてもdisってるように見えてしまいそうな言葉しか浮かんでこない。
凄く下品で俗っぽく簡単に纏めると「それっぽい人たちが好きそうなそれらしい感じのする物語」というのが率直な感想。
多分だからこそ深く突き刺さる世代や性別があるのは理解できるんだけど……
だけどね、となってしまって言葉に詰まる。
感想は書かずにスルーするかも二冊読んだけど二冊とも似た感想にしかならないし嫌いでは無いしdisりたいわけでもなく、ただ時と気分が合わなかったという感覚なのでまた本当に幻想文学を自分がちゃんと読みたい時に読み直したい。
川野芽生の歌集は良かったから好きなはずだ。……とは、思う。
因みに読んだのは、『無垢なる花たちのユートピア『月面文字翻刻一例』の二冊。
比べるのは良く無いけど市川春子宝石の国が好きな人なら好きなんじゃないかな特に『無垢なる花たちのユートピアは。

まあ、そんな感じできっと済し崩しに三月を迎えて。
私もきっと三月になる。

 

[本]『この世界は何だ!? じわじわ気になるほぼ100字の小説』北野勇作

良い意味でも悪い意味でもほぼ何も残らないほぼ100字の小説集。北野勇作が好きなので読んでみたけど正直に言えば北野勇作じゃ無かったら本にならなかったんじゃないかとさえ思う感じの物語感。この物語はレベルではなくスケールとして覚えていられないのに適してるサイズの読み捨てストーリー。忘れるのではなく覚えていないのである、我々は、我々を、我々も。

 

[本]『自宅怪談』夜馬裕

近所の図書館にジュニア向けとして置いてあったけど全くジュニア向けではない家に纏わる怪談集。怖い話として読むなら私はそれほど好みの話ではないけど厭な話として読むならなかなか切れ味鋭い厭な話が満載。臭いに纏わるモノが書かれてる訳ではないけど他人の家の余り宜しくない臭いがしそうな厭らしさを撒き散らしてくるよ、庭先ならぬ鼻先に。自宅とは言え書かれてるのは結局他人の家に他ならないんだけど隣家や隣人がそうかも知れないと考えると厭だなと思う。それを恐怖に変換する人もいるのだろうけど私は怖いというより厭だなという気持ちの方が勝ってしまうので厭な怪談だけど怖い怪談ではないというのが全体の感想で、怖い話としては好みではないけど厭な話としてなら好みなので買ってもいいなと思いました。

 

[漫画]『黄泉のツガイ』3巻 荒川弘

面白い。くらいしか書くことないくらい面白い。
この作品に関係ない話を書いておくとネットで漫画を読むのに慣れてきたけどそれでも極力紙で買う。紙が好きだし紙で漫画を読むことが好きだから。たぶん紙で読むこと込みで漫画が好きなんだと思う。

心の中身を少しだけ捨てた

今日は祝日。
特に予定は無かったので少しのんびりして夕方くらいにブログでも書こうと思っていたのだけれど、このあと急遽出掛けないといけなくなってしまったのでコンパクトな日記を。

自分の為の90年代ヴィジュアル系プレイリストを作った。

music.apple.com

細かいことやヴィジュアル系に関する私見はまた時間のある時にでも書きたいので今日は省きますしこの時代のインディーズはサブスクになってないものが多いので暫定的なサブスク盤みたいなプレイリストです。
私のアカウント自体は鍵が掛かってますがApple Musicさえ使っていれば公開プレイリストはフォローしてなくても聞けるはずなので興味のある人はリンクを辿ってみてください。
そんな奇特な人もいないとは思いますがもしフォローしたいという方もいらっしゃいましたら仰ってくださればフォローしますので一声かけてください。

当たり前にしたくなかったことが当たり前になっていくのがとても苦しいし怖い。その人がいないという生活が本当に当たり前のことになっていく。
例えばいつも読んだり見たりしてたSNSを見なくなる。そして、それが日常化し、いつの間にか知らなかった、居なかった頃の状態に戻っていく。
そういう感じの。
インターネットの糸は兎角切れやすい。
そしてそれが当たり前のことだということを当たり前に忘れている。
他人の距離感が分からない。
踏み込む/踏み込まないって何だろう。
人が苦しんでる時は理屈をつけて簡単に見捨てるのに自分の不都合は相手が苦しんでる時でも構わず責め立てる。
そういう時だけ連絡してくる。
そういうのにいつまでたっても慣れない。
自分を正当化する気は無いけど相手の正当性も正直に言えば認められない。

でも、段々それもどうでも良くなる。
大切なものが大切すぎて大切の仕方が分からない。
そして見失って、間違える。
もう誰もいない。

きっとこの先もまた起こり得ることだろう。
今、仲良くしてくださってる人たちのこと大切に思っているけど、大切だからってなくならないとは限らない。
それでも、その中で共に居られる時間をなるべく見失わないようにしていたい。
とても簡単に切れるインターネットの蜘蛛の糸をピアノ線くらいの細く美しい人も殺せるような強度まで研ぎ澄ませたいのだ私は。

 

[本]『砂丘律』千種創一

砂の味、空気の味、血がたまに交じる。人が生きてることの時間の蓄積と人が生きていたことの時間の体積。暑さと冷たさ、熱さと寒さ。たしかに中東の風が吹いている。

石段は湖底へと延びこれからするであろう悪いほうの祈り

今年最後のゆうだちと知らずに君が水槽ごしに眺めてた雨

紫陽花の こころにけもの道がありそこでいまだに君をみかける

ひとびとが溺れ死ぬ聖書のページ 手渡すお茶に氷はまわる

壜の塩、かつては海をやっていたこともわすれてきらきらである

 

教えて 眩しい記憶の消し方を

日常には何にも無い。
無は在る。
今日も虚無る。
重症な無駄と重厚な無知もあり無駄のある無知に囚われていた午後もある。

憂鬱な雨が降っている。
すべての雨が憂鬱かは知らないけど今日は憂鬱。
でも憂鬱になりたかった私の憂鬱には打って付けの憂鬱な雨。
春なんか殺してしまえ。

書きたいことや言いたいことがあるとして、でもそれが他人に対してかどうかはまた別の話である。
書きたいことや言いたいことがあったとしても人に言いたく無い人と話したく無いことの方が多い。
サブスク感覚で孤独や悲しさや寂しさもシェアできると思ったら大間違いなんだけどそう出来る/そうしたいと思い込んでる人は意外と多い。
シンパシーもエンパシーも嫌い。
テレパシーならまだいい。

他人にとっては知らないけど虚構しか呟かないアカウントとアーティストや作品名すら明記しない言葉を必要としない写真だけ貼るアカウントは私にとって本当に助かっているし、とても良いものだと思っている。

不健全な私たちの不完全な日常と不完全な僕らの不健全な感情を持て余して弄んで死なせてしまわないようにせめて慎重に息をしようね。

 

[音楽]『COMPACT DISCゴールデンボンバー

思いがけず良かった。ある時期から何かちょっと違うんだよなと思わされるような活動や曲が目立っていたのと自分がもう以前のような熱量を持って必要としていない気分が合わさって、もしかしたらもう聞くこともなくなるしもう聞けないかもなと思っていて、これで最後みたいな気持ちで聴いたけど本当に思いがけず良かった。相変わらずネタ曲は気分的に余りピンときてないけどアルバム中盤以降は素晴らしくて最近はずっと聴いてる。アルバム中盤以降のみずっと通しで聴いてるという不可思議な半覚醒エンリピの毎日。中途半端な私には正にぴったりな聴き方と作品。なので大手を振るって傑作アルバムだよとは言わないけど、これからも生活に寄り添って感情を切り取って事あるごとに元恋人を思い出すようなモブ式エモーショナルな感性でいつだって何度でも心の引き出しから取り出して思い出の歌として聴いて刻んでいくのでしょう。やっぱり好きだよ、金爆。

 

[漫画]『鴨乃橋ロンの禁断推理』9巻 天野明

なんと既刊に追いついてしまった。自分でもびっくり。前巻がめちゃくちゃ私好みだったけど今巻は割としっかりしてるから普通。M家絡みの話で本筋をちゃんと追うエピソードの序章。普通といってもミステリーとしてはちゃんと面白いよ。私がミステリーにはラスボスとか縦軸的な本筋エピソードって要らないと思ってるだけで、それは私のミステリーに対する好みの話でしかないので。それに連載漫画に本筋は必要だものね、読み切りでもあるまいし。

 

[漫画]『ザ・ファブル The second contact』6巻 南勝久

ユーカリが大変なことに。一瞬アザミも大変というか変態なことに(なりかける)。帯文にもあるけど「俺にまったく悪気はないが、おまえは後悔する事になるーー。」は確かに名言だと思う。カッコいい。

自分を見つめる孤独な毎日

死ぬことが美しいとは思わない。
もしかしたら美しい死というものがあるのかも知れないけど、それは神様とか幽霊とかと同じ領域で「在って欲しい」という信仰や願望に限りなく近いものだと思う。
不在に存在を視てしまうようなものだ。

本人には意志も意義もある死でもそれを他人が神聖化したり美化したり犯して汚化するのは違う。
個人の死は個人のものだと思う。
言い方は悪いけどそれは家族であっても奪っていいものではない。

ただ不謹慎極まりないことを言えばアーティストのSOPHIEの死因が「満月を見ようとして滞在先のバルコニーから転落する不慮の事故」というもので、死自体は痛ましく思えても私はその死因をとてもロマンティックだと思ってしまった。
今でも最もロマンティックで綺麗なことのように思い出してしまう。

本当はそういう軽々しい幻想は殺さなくてはならない。

私は嘘が好きで意図的に意識的に自覚して嘘をつく。
決してそれを正当化しようとか自己弁護したいわけではないけど、無自覚に嘘をついて無意識で人を貶めたり傷付けたりするよりはまだ良いんじゃないかと思ってしまうことがある。
虚言はそれを自身で信じてるから本人はそれを嘘だとは認識してないけど、でも明らかに綺麗事を本当のように言ってる人は危ういなと思う。
殺すべき嘘ばかり。

私も他人を貶めたい訳じゃないから、この話はここで終わり。

結局、画像を貼るだけのアカウントをツイッターに作りました。

twitter.com

私のブログなんかを読んでくださるような物好きな人はきっと私と集合的無意識の美意識が何処か繋がっているから何かしら気にいるようなものがあったりなかったりするんじゃないかしら。
私は私の好きなもの、美しいこと、可愛いものを知って欲しいとは思うけど、私が思うように好きになって欲しいとか共感されたい訳ではないので、たまに其々の審美眼に見合うものが見つかったら良いですねくらいの感覚です。

今日はV系の日ですね。
聖Vですよ。
もちろんV系のVはヴィジュアルではなくバレンタインですけどね。
チョコレートはあげましたか?
チョコレートは貰えましたか?
チョコレートは食べましたか?
ギブミーや、ギブミーしてんかってチョコを求める世のチョコレートゾンビどもを撃ち殺しても良い日です。
良い日ですね。

 

[本]『銀河を産んだように』大滝和子

残念なことにアマゾンにないみたいなので貼り付けるものがありません。それにもう素晴らしくて素晴らしくて言葉もないので感想という感想がないです。なのでいつもより少し多めに短歌を引用しておきますのでそちらをご覧いただいて心から震えてください。魂が月の引力に引かれ地球の重力から解き放たれますよ。

白樺の森のようなるメロディーを夜の夢から持ち帰りたり

花火なす天の傷口みてあればアドレッセンスへこころは向かう

かぎりなき過去よりきたる手のひらに刻まれている表音文字

サンダルの青踏みしめて立つわたし銀河を産んだように涼しい

画布上に銀河大の疑問符を寒色に塗りこめて部屋でる

オリオンの形象まぎれなき夜よ宮沢賢治に電話かけたし

処女よりも白き少年ひそやかに思春酒の味知りそめていむ

マシュマロのような別れを欲すれどきつめの靴にひりひりとして

青春の影すこしずつ細りゆくただグレゴリオの暦にそいて

くるおしくキスする夜もかなたには冥王星の冷えつつ回る

イコン画のマリアの瞳われを見てこの午後の微罪かなしみたもう

あしたへの遠近法の坂道をユークリッドと腕くみ進む

きみの名と同音である抽象語ふとさりげなく会話にいれる

平行四辺形の女がやってくる 並木道を泣きながら

を下さい・へ行かしてよ・に成りたい バベルの塔の形うつくし

相対性理論を習うまなざしの二億秒まえ飼っていた猫

二千個の人形かざる博物館どの表情もみなわが心理

猫の目にむかいてそっと聞いてみる「宇宙はなんがつなんにち生れ?」

赤、紫、緑の発作 大空にひらく花火のゆがみを愛す

泣いている少女よダイヤモンドもきみの体も炭素原子だ

 

流れ星一個盗んで目の前に差し出した時の顔が見たい

世界を滅ぼすための光と自身を滅ぼすための怒り、そして言葉。

感想を書くほどのことは何もないので感想を書いたことはないけど特に感情を動かす必要がなく殆ど作業として読めるのでよく転生やなろう系の漫画を読んでいる。
空っぽで楽。
空っぽで楽。

雨が降っている。
ニュースでは雪になるとか言ってたけど体感気温的には雪にはならないんじゃないかと思う。

読む楽しみのある人がブログを始めたので読む楽しみがある。
楽しみがあるのは良いことだ。
あまり言ってプレッシャーになってもいけないけど嬉しい。

明日はバレンタインですね。
チョコも買わなかったし今年は何もしないでおこうかなとも思ったけどバレンタインは好きなのでバレンタイン用のコラージュを作った。
自画自賛だけどとても可愛いよ。

コーヒーを飲むのが好きだ。
好きだけど味はわからない。
苦いとかはわかるけど愉しみとしての味というか味わい方がわからない。
だから100円のコーヒーも1200円のコーヒーも私にとっては同じコーヒー味でしかない。
でも、好きだから飲む。
だから、好きだとも言える。
私の好きはその程度でいい。

ゴールデンボンバーの新譜を聴いた。
思うことはあるけど言葉に詰まる。
詰まるというか上手いこと言語化できない。
感想を書くのにはもう少しかかりそう。

画像だけを淡々と貼る言葉を必要としないツイッターをやるかどうか迷っている。
そんなにアカウントを増やしてもなーという気持ちもあるし、そういうことで芸術だとか耽美だとかファッションだとか乙女だとか特性のあるアカウントならたくさんあるし、でもたぶん私の心のバランスとして嘘しかないアカウントを言葉がないアカウントは必要な気はする。
まあ、始めたらブログでだけこっそり報告しよう。
このブログを読んでる人は圧倒的に少ないから。

3Dプリンタであなたの心臓型のチョコを作りたいな。
そして食べずに火で溶かしたい。
ゆっくりと、じっくりと。
確かハン・ガンの小説で人を燃やすときいちばん最後まで燃えるのが心臓だというような話があって私はそれをとても美しいと感じたからそれが事実かは知らないけど、それは本当なんだと思うことにしてる。
私には私にとっての真実があって、それは別に事実じゃなくていいし、もっと言えば嘘や虚構で全然構わない。
信じるってことが必要で重要だから。
私にはそれだけが大切。

今日はいつもより熱いお湯で苦い濃いめのコーヒーを煎れよう。
とびきり苦いといいな。
それこそ私の匙加減ひとつだけれど。

 

[本]『どんなふう』サミュエル・ベケット

これも分からない。けど、これはわからなくていいやと思えるわけのわからなさなのでそれでいいしそれがいい。たまに「ああ、私は言葉に勝てやしないんだ」と思い知るために読み物を読むことがあるんだけど、言葉にしか出来ない言葉で出来てることを言葉に出来ないときに自分のちっぽけさを思い知らされる。そのことが心地よい。言葉は気が付けば皆に無料配布されてるけどだからと言って使いこなせるわけでもないし使い切れる訳でもない。宇宙の果てくらい途方もないものを手にしてるのにそのことを余りに誰もが有り難がらないということをツイッターなんかをやってると物凄く思う。こんなに訳のわからないものを神様から与えられてみんななんでそんなに平然と当たり前のように思ってるのだろうと思う。言葉の暴力とかそんな意味じゃなく言葉の狂気さと凶器さをもっと身に染みた方がいいのにな。本の感想とはだいぶ逸れてしまったけど言葉の自由さと不自由さを同時に降らせて物語は物を語らなくても成立し得るという言葉自体がマクガフィン化してる不思議で不遜な書物。

失って気付くものは大切なものじゃなくて 優しい人 冷たい人 それがやたら定かになる

昨日は大雪。今も積もっていて白くていい感じ。
白々しい世界はいいよね。
しらじらしくて。
子供たちがはしゃいでいる声がする。
子供たちと言っているが、もちろん私の子供ではない。

何か書くといいと昔は思っていた。
それが頭や心を整理する切っ掛けになると。
でも今はどうだろう、書いて整理されるようなものもない気がする。

自分がしでかしたことの結果ではあるけど結果が自分のしでしかたことの大きさと比例していないと心は腐る。
腐った心はこの不合理を死ぬまで許せなくなってしまう。
被害者と加害者によって罪の意識や大きさや重さは違う。
私が思ってるよりきっと深刻なダメージだったのだろうとも思う。
でも、罪に対して罰が重いと感じさせるには充分すぎるほどの仕打ちだと私だって心があるのだから耐えられない。
甘んじて罰を受けよう……とはならないです。
自分を守ることとと他人を傷つけることは同義でも等号でもないのにそこを勘違いして自分を守るためだったら他人の気持ちを蔑ろにして傷付けてもいいと思ってる人が意外と多い。
被害と加害の逆転が起こってしまう。
それでも気が付かない。

無視は嫌い。
私は暴力を加えられるか、それ以外なら居ないものとして扱われることが多かったから無視をする側の人が嫌い。
人によって違うのだろうけど私は既読スルーは何とも思わないけど未読スルーは嫌い。
私は自分勝手なので少なくても自分が言いたいことは確認されたと思えるだけ既読はありがたい。それに対して反応がなくてもそれは私にとっては無視だとは感じないけど、未読は、お前は存在して居ない、見る価値もないと言われてる感じがするので本当に嫌い。
無視する側の論理も無視できる心理も私には永遠に理解できないし理解したいとも理解しようとも思わない。
嫌いだから。
返さない/返せない都合はわかる。見ることするしない事情はわからん。私には。

まあ、いいや。
嫌なことが心の貯金箱に貯まっている。
吐き出して散財しても何も変わらないけどたまには散財したい。
言葉として、言葉にして。

感想はツイッターに書いたので詳しく書かないけどタイトル忘れたくないので書いときます。
[テレビ]『テレビ放送開始69年 このテープもってないですか?』をちょっと前に見たんだけどめちゃくちゃ好みだった。
本筋はやりすぎなので最後の方は冷めてしまったけどそれ以外のシチュエーションもビデオ演出も物凄くよかった。気持ち悪さの丁度いいところを付いてる。不快と嫌悪の調合、不気味と好奇心の配合のバランスが頭おかしくて、これをテレビで放送したってところに意義を感じた。

もう直ぐバレンタインですね。
私は嗜好品に余り頓着がないんだけどチョコだけは高くても美味しいなら良いと思っている。
でも、今年はあげる予定がないしあげる気持ちもない。
いつもなら自分の為だけにも買ったりするのだけれど今年は気持ちが死んでいてデパートもネットも何もチェックしなかった。
寂しいような当たり前のような気持ち。

書こうとして書き散らかしたら書くことは割とあった。
もうちょっと書く頻度とバランスを考えたい。

 

[本]『Jason Fourthroom』舞城王太郎

Jason Fourthroom

Jason Fourthroom

Amazon

もう私はこういうものを「わからない」の一言で片付けられる立派な大人になりました。だから言う「わからない」と。書いてあることの良さも書いている意義もわからん。内容や意味が分からないのはいい、そういうのは自分の無知だったり気分だったりに起因するからそれは許容できるし、そういうものはそういうものだからそれはそれでいい。でも書いてる意義がわからないのはダメだ。それは無視と変わらない。私は無視をしたくない。でもこれは書いてる意義がわからん。無理やり見つけるなら作者自身に宛てた手紙なのかもしれないがそれは私にはわからん。自己完結を意義と取るなら、意義はあるのかもしれないし、それに称賛も賛同もする人たちはいるのだろうけど私はわからない。だから何もわからない。簡単に一言で簡潔に完結に言おう、わからない。

吐き気がするほどロマンチックだぜ

確か一月の終わり頃に二月になったら頑張ると自分に言い聞かせてたような記憶があるけど気が付けば二月も五日目で何も頑張っていない。
ブログも十日ぶりの更新という為体。

昨日は友達のライブに行った。
客が居なくてしんどいということだったので。
何の情報も持たずに行ったけど行ってみたらオールドスタイルというかクラシカルなパンクバンドだったのでニッコニコになった。
私は外装はV系だけど内装はハードコア好きなので。
ここでいうところのクラシカルなパンクというのは簡単に言えば洋楽ならセックス・ピストルズで邦楽ならスターリンぐらいのものを指すとお考えください。
あくまでも私の中のイメージの話なので、ピストルズスターリンを同列で扱うのが正しいのかスターリンはクラシカルなのかは厳密には分からないしパンクスたちのそれぞれのプライドもあるかも知れないので深掘りはしません。
ざっくりにざっくりを重ね着して更にざっくりいうとメロコアが流行る前の感じと思ってください。
そんな感じです。
今も耳の中がぼーっとするくらいの大音量で歪んだ音を聞くのはいいなと思った。
ベースの人がマフィア梶田みたいな人だった。

午後は何となく暖かくて確かにあと一ヶ月もすれば春になるのも頷けるというような穏やかさだったけどライブ後の二月の風は酷く冷たくて切り刻まれるような寒さの中コンビニで買ったショコラ・ラテを駐車場で夜空を見ながら飲んだ。
星一つないから星を想像しながら目を瞑ったけど想像の星空は想像以上に綺麗に輝くので現実を軽く超えてしまう。

嘘をつくだけのアカウント(むみむいみ (@muimiphilia) / Twitter)をツイッターに作った。
嘘というと人を騙すことと結びつけられがちだけど、現実的や日常ではないとか本当のことを言わないくらいのニュアンスです。
私は嘘に愛されているし、私も嘘を愛しているので相思相愛。
私は嘘をつくのにとても向いていると思う。
だから、もっと褒めて。

チョコレート色の別れを乗り越えて春色の宇宙に自殺者だけ一杯に詰め込んだ死人列車で到達するまで私の二月は終わらない。

「私」という永遠の謎を「私」という探偵が解こうとする徒労の自作自演の上演は死ぬまで。

みんなは、どう?

 

[漫画]『鴨乃橋ロンの禁断推理』8巻 天野明

私の落ち度のせいで何故か永遠に最新刊に追いつかない。頭のおかしな犯罪と頭のおかしな犯人が出てきて個人的にはめちゃくちゃ好きな巻。

[漫画]『相続探偵』6巻 原作:西荻弓絵 漫画:幾田羊

銭湯の話は何となくふわっと良い話で纏まってたけど不穏な厭な話が続いてる。面白いからそれでいいんだけどね。