最果ての景色はなんにもない夜空

年末です。

11月はブログ書いてませんね。
ビックリです。
11月は誕生日があって、終盤は入院してました。

で、12月、ね、序盤は入院。
退院してクリスマスだとはしゃいでいたらもう年末。
あと4日くらい?
2023年も終わりだってよ。

今年を振り返ろうと思って振り返ったら何もなかった。
コンテンツ的な話ね。
本も漫画も映画も記憶がない。
記憶に残るようなものに出会ってないのか記憶することそのものに障害が発生してるのかは分からないけど兎にも角にも記憶にも心にも何も残ってません。

トピックとしては大きなものが二つ。
一つ目は病気になった。
これからも治療は続く。
二つ目はアイドルを聞くようになった。
今までも聴いたり好きになったりする曲はあってもグループにめちゃくちゃハマるとかカルチャーや界隈に興味を持つことがなかったからコンテンツやカルチャーとしてしっかりハマったのは初めて。
良いことだと思う。

だからって事細かに振り返りはしません。
この日記として書くことが最近は本当に特にないけど残してはおきます。
何かあった場合の避難所は多いほど良いので。

これからも生きていたいと思います。
死にたくはなるだろうけど、それでも、生きていたいと思います。

今年もお世話になりました。
まあ、ゆるゆると日常を回復していきたいです。

来年もよろしくね。

良いお年を!

さよなら 全ての者よ

前回の更新から一ヶ月どころか二ヶ月近くが経とうとしている。
書くこともたくさんあっただろうし書きたいこともたくさんあったはずだけど過ぎてしまえば懐かしさもない思い出せないことばかりで。

BUCK-TICK櫻井敦司さんが亡くなったことについても触れておきたい気もしたのだけれど語れるほどの思い出や歴史があるわけでもないので軽はずみに追悼だとかを述べるべきでもないなと思う。
今でも新譜が出るたびに感想を送り合う仲の友達がいて結構色んな年齢の人たちから好かれていたことだけは確かだと思う。
50代のおじさんから20代の女性まで幅広い交友関係がBUCK-TICKというバンドを通してだけ繋がっているというのは自分の中でとても大きな繋がりだと感じている。
それ以外の音楽的素養も全く通じ合わないので言えば忽ち軽くなってしまう言葉だけど奇跡と言ってもいいレベルのことだと私には思えています。
良い思い出。

正直なことを言えば読書メーターでメモ的な記録を始めたのでブログの意味合いがだいぶ薄れてきてしまった。

bookmeter.com

月一で月末更新の今月よかった3枚とか音楽メモをする為だけのブログに変更しようかと思っています。
辞めてしまってもいいのだけれどそれも何か寂しい気もしているので更新するかしないか分からない程度の更新率でもブログ自体は続けていきたいし残しておきたいとも思っています。

普通のこと普通に書いたら書ける気もするのだけれどそれだと詰まらないしかと言って捏ねくり回して書けるほど今は体力も精神力も集中力も頭も無いというのが現状なので。

更新したのだから折角だから何か聞いたものの感想を書こうかと思ったけど上手く言語化できるものがないのでやめておきます。

RAY『Camellia』が群を抜いて良かったのだけは確か。

あと最近はあまり映画を観てないけどホラー映画だけを記録する場所を作りました。怖いという感覚がどういうものなのか今一度自分に問い質したかったから。

filmarks.com

 

九月とか十月はそんな感じでした。
たそがれの国はまた去っていきます。
十月の空はもう冬の匂いがしました。

 

[音楽]『darker than darkness -style 93-』BUCK-TICK

特に一番好きなアルバムだとか一番のおすすめだとかいうことでもないしどちらかと言えばとっつきにくい方のアルバムな気はするけど今の気分に一番フィットするような気がするのでと思ったけど、それも『異空 -IZORA-』の方が合ってる気はするので何故これを今選んだのかは自分でも分かりません。でも良い具合にオルタナで良い感じにデカダンでそれなのにポップで良いです。好きなものが好きだったものとして過去に押し流されたりしないノスタルジーを超えることの美学。

 

想像力だけがアンタを死なせはしない

忘れている、忘れていく、やがて忘れていくことが全て優しさとなって私を覆うだろう。
八月が終わりを告げてもう九月。
入退院もあって八月も全然ブログを更新しなかった。
記録することがなかったからだと思っていたけど読んだものの記録していなかったものが割とあってどうしようかと思っていたけどメモしてあったものから思い出せる範囲で記録しようかなと思っている。
思い出せないものは一言にすらならない記録かも。

最近は全てが嘘みたいに感じる。
前は現実味がなくて夢や幻みたいだったけど最近は嘘だと思う。
自分が吐いた嘘、他人が騙す嘘、現実が見せている嘘、現実味がありながら作り物みたいに嘘っぽい全てが。
感情も、言葉も。
嘘をつくのは言葉だとかいうような文章をネットで見かけた記憶があるけど嘘をつくのは人間だよ、バカじゃないの。

ナイフは置かれてるだけじゃ人を殺せない、言葉も使わなければ誰も傷つけない。
在るだけで嘘になる言葉なんかない。
居るだけで迷惑になる人間はいるけどね。
例えば、私とか。

もう自虐ってるのも疲れた。

 

[本]『本の幽霊』西崎憲

本の幽霊

本の幽霊

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あまりよく覚えていない。朝思い出したことを夜には忘れていて夜に覚えたことを朝には思い出せないみたいな淡い感じの短編集。日常的な非日常だけど非現実というほど現実と乖離していない不思議な感触の時間が流れている。悪い気のしない作品で何も残っていないけどその何も残っていなさこそ愛おしいみたいな不在することの美学のようなもの。大島依提亜による装丁と桃山鈴子による装画がとにかく素晴らしい。

 

[本]『不死身のつもりの流れ星』最果タヒ

これは本当にびっくりするほど何も覚えていない。たぶんキミとかボクが実は二人称でも一人称でもない事実みたいなことだと思う。見えない場所でも星は輝いているのだし、星は人のために光っているわけでもない。星の気も知らないで、である。

美しい結末なんて嘘ばかり

あなた真似して纏わり付いて歪んでった。
揺るぎ無いって思ってたこと裏切って。

ブログを書こうと思ったのが午後、今は夜。
空白で埋める時間、余白的な憐憫、あわよくば泡となる空欄を埋めよ。
産めよ、殖やせよ、不幸なるかな。

ちょっと前にスレッズというものに登録した。
殆ど使っていない。
おすすめなんかを見てて思ったのはインスタはインスタの振る舞いをするってこと。
写真投稿を言葉に置き換えたような薄気味の悪い言葉空間が広がっていた。
ツイッター以上に三割り増しの見栄えのいい言葉が溢れているように感じた。
要は言葉の映えだ。
言映え。
ツイッターにはツイッターの言葉が溢れ、インスタにはインスタの言葉が溢れる。
そのSNSにはそのSNSに相応しい立ち居振る舞いの言葉が誕生する。
XではXの言葉が生まれるのか楽しみではあるけど基本フォーマットがツイッターと変わらないので言葉の立ち居振る舞いも更新はされないだろうなとも思う。
つまらない。

何となくブログを書いてる気がしてたけど八月になって1日も書いてなかったことに愕然とする。
そうやって日々は過ぎる。
縋るものなどない。

嘘ばかり言っていたい。
美しくなるまで。

 

[本]『こんにちは』谷川俊太郎

こんにちは

こんにちは

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特別なことも特別な言葉も何もないのにそれがとても特別だった。好きなものを食べるのと美味しいものを食べるのとでは違う。好きなものを食べることの贅沢に似てる。今日は特別な日だから奮発して美味しいものを食べようという贅沢も贅沢として良いけど、今日は特別何もない日だったけど好きなものを食べようという贅沢には敵わない。少なくとも私の中では。そういう特別じゃないことの特別じゃない好きな言葉がたくさん味わえる贅沢。私的じゃない詩なんて存在しないけどでももっと詩とエッセイの間みたいな生活感のある言葉だと思う。軽やかさがあって良い。谷川俊太郎が撮った写真も谷川俊太郎を撮った写真も良かったし、俳句も読めるし、紙選びから造本まで大島依提亜の装幀がとても良い。

 

[本]『詩 303P』内田麟太郎

どう言えば上手く伝わるだろう。教科書的というと違うのだけれど教科書で読んだことがあると思えるようなまるくやわらかい人懐っこい懐かしさのある言葉たち。ノスタルジーではあるのだけれどヴァーチャルノスタルジーというかどこか別の星とか或は何処か別の次元や世界線の私が体験したかも知れないそういう手触りの郷愁が立ち込めてる不思議な詩集。絵柄が合ってるのかはちょっと判別し兼ねるけど寄藤文平(文平銀座)による装丁はとても好き。

魂の最果てまでたぎらせて

書かないうちに日々は過ぎて書かないうちに書くことが溜まった。
もうすぐ七月が終わろうとしている。
毎日のように雷が鳴って豪雨雨雨雨になる瞬間が訪れる毎日。
毎日。

昨日は友達のメンタルがヤバいということでドライブに行った。
私は助手席にいてプレイリストを流したり相槌を打つだけの係。
X-Ray SpexとかThe RaincoatsとかGirls At Our Best!  とかをかけて良い感じだった。
大きめの神社に二つほど行った。
神社は好きだ。
荘厳で静かで気持ちが綺麗になった気になるから。
でも、神様は私のことが嫌いみたいで神社に行くと必ず具合が悪くなる。
左肩が異常に熱くなって頭痛がヤバイ感じになって耳が聞こえなくなったりとか。
昨日は説明が難しいんだけど遠近感が分からなくなるバグが発生して近くのものが急に遠くなったり遠くのものが急に目の前に見えたりする現象が発生して気持ち悪くなった。
あれは何だったのだろう?
神社から出たら直ぐに治った。
自然のトリックアートに全ての感覚が狂うアトラクション。
感覚としては貧血に近いんだけどその感覚が視覚にだけ集中してる感じ。

神社に行ってマイナスイオンを浴びたからか友達は割と元気になってて良かった。
神頼みで病気が治るとは思ってないけど私も健康をお祈りして来た。

まあ、とても良い1日だったと思う。

ちょこちょこ感想を書いたり記録しておきたいものが溜まって来たので書いていかないといけない。
アマプラが急に使えなくなったけど原因がわからない。
今日はやりたいことがたくさんあるのでやりたいことをたくさんやりたい。

 

[音楽]『SUPERIOR』Lillies and Remains

Superior

Superior

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本当にとても良い。夜の雨が全ての光を反射して真昼より明るくなっちゃったみたいな何よりも輝く夜のようなダークロマンスが狂い咲いてて泣いてしまうし、その涙も光を反射してまた光るんだよ。そう思うと自分のことも少し好きになれちゃうような気がしてくる素敵な作品。「Everyone Goes Away In The End」とか「Spinning Away」とか今まで有りそうで無かった雰囲気の曲もあってまだまだ伸び代があることも嬉しいし、「New Life」のシューゲイザーっぽい音像なのにシューゲイザーとは違う陶酔感と高揚感がある曲で終わるのも希望めいててとても良かった。

 

[音楽]『metropolitan』NIRGILIS

無重力な自由さと少しのセンチメンタルが浮遊する奥行きのあるサウンドで心地よい。今日のブログのタイトルに歌詞を引用してるけど「魂の最果て」って素晴らしい言葉だと思う。

永久なんて噂を信じてみたって腹の足しにもなんないね独創性

日記としてはあまり書くことはない。
毎日を書くということは書こうと思えば書ける気もするけれどそれはあくまでも書こうと思えば出来るのであって書こうとは思えない。
なので書きたいときに書けることだけを書く。

記録としては三日連休の初日ってことくらい。
基本療養してる私に休日はあまり関係ないのだけれど周りが休んでるという言い訳のおかげで焦らずに済む。
周りが動いてるのに普通のことが普通に当然のことを当然に出来ない自分はとにかく焦る。酷い焦燥感と罪悪感と無力感に襲われる。
それが少しだけ安らぐので世間の休みは有難い。
カレンダー通りのシフトやサイクルじゃない人だって勿論たくさんいるのは分かっているし、そういう人たちはお疲れ様ですとは思う。
あくまでカレンダーを見てる私の心の安寧の話です。

兄が立川にあるPLAY! MUSEUMでの「エルマーとぼうけん」展に行ったらしく昨日はそのお土産を置いていってくれたので今日はコーヒーを飲みながらそれを食べた。
柑橘ピールみたいなやつ。パッケージは可愛いし美味しかった。
図録も見せてもらったけど可愛かった。

感覚的なことを感覚的に書いてしまうので他人に伝わらないということがよくある。
伝わらなくても良いと思ってるわけじゃないけど自分用の記録としては、こう思った、こう考えたよりも、こう感じたをパッケージした方が読み返したときに感覚を思い出せるからで、でもこの記録方式は内容をさっぱり思い出せないというリスクもある。
それでも感覚的に書いた方が自分には分かりやすいし自分らしい文章になる。
それも踏まえて以下に書くOGRE YOU ASSHOLEの感想をお読みください。

 

[音楽]『家の外』OGRE YOU ASSHOLE

家の外

家の外

  • Office Rope, LLC.
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とても良い。そしてちょっとだけ怖い。このちょっとだけ怖いが絶妙。ちょっとだけ怖い音像がほんのり怖い気分を連れてくる。いつも見ていた家が不意に、これは家ではない、人間が住む場所ではないと思えてくるような怖さがこびりついているのだ。違和感と言い換えても良いかも知れない。奥行きが長いけど良く見たら描き割りだったのに描き割りを合わせ鏡で無限増殖するように行けども行けども描き割りの果てが奥にぐんにゃりぐんにゃり伸びて終わらないみたいな奇妙な事態が発生して途方にくれる。見知っていたはずのものや自分が思い込んでいた世界がまるで知らない顔する、そういう得体の知れない怖さが薄ぼんやりとした明るさとして胸に広がってしまう。そして怖いのはこれが薄ぼんやりとした暗がりではなく薄ぼんやりとした明るさなところである。あぁ、怖い。でも、心地よい。

世界はマッハ1で走ってく

何か書きたいことがあって開いたはずだけど忘れてしまった。

兄が家を訪ねて来たので少し話した。

このところ良い新譜がたくさん出てて嬉しい。
嬉しいけどその分だけ聴き込んでる時間もなかなか無くなるので大変。
私はたまにツイッターで音楽の感想を呟いたりしてるけど
たぶん私をフォローしてる人で私みたいな音楽遍歴の人はいないと思うので
興味を持って貰えてるかは分からない。
分からなくても自分が良かったものを良かったと言いたいだけだから
それで十分なのだけれど、興味を持って聞いてもらえたらいいなとは思う。
もちろん、強要も強制もしない。

半袖を着る季節。
長袖を切る季節。
長袖をKILL季節。
もう、失望を患っても長袖で隠せない、ね。

サンドウィッチを食べた。
今日は、食べたいと思ってサンドウィッチを食べた。
ままなる。
でも、でも、でも、でも、ママにはなれない。
魔女をサンドした魔法のような食べ物。
それが、サンドウィッチ、だ・い・す・き。

いつも長い休みのような気分でいて、いつもまったく休めていない精神の澱の檻の中に居る。
精神に織り込まれている様々な呪。
修羅、呪、種、朱。
言葉を繋ぎ合わせた適当なテキスタイルみたいなテキストのスタイル。
美しいフラクタルにはならない。
なぜなら望みがないからです。
私の言葉には厚みも重みも存在しない。
物語も小説も未来も存在しない。ましてや、期待すら。

繋がりというものがわからない、言葉の、人の、言葉との、人との。バカ「との」様。
関わり方がわからないのなら関わらない方がいい。
言語も存外にズラせるのに思考はズラしきれないから、いつだって気味の悪い嫉妬を模倣したようなSHITな気分でいっぱいだ。息切れがする。

日記を書くと少しだけ落ち着く。そこには何もないから。

アルミホイルに徐に画鋲で幾つもの小さな穴を開けたものを顔に貼り付けてインスタントなプラネタリウムを作る。外はバカみたいに晴れていて部屋の中には星座になれない星々が顔の上で踊ってる。踊り狂って、踊り疲れて、踊り憑かれて、やがて、踊り死ぬ。

生きている限り何処に居ても馴染めない。
なまじっかマージナルなのだ、言葉が。
だから、きっと、ずっと、どこにいても言葉だけを浪費して、すぐに消して、消えてしまいたくなる。
部屋の中なら安全だということもない。
目の前には、どこでもドアがある。モニターは、きっと、そういうものだろう。
そこを潜って、どこにでも行ける。
ただし、行きたい場所がないなら意味はない。
生きたい場所がないなら宝の持ち腐れだ。
持ち腐れするような宝があるだけマシなんだということを何度も噛み砕いて咀嚼して会釈しながら言い聞かせて、コーヒーとともに流し込む。
苦さと混じって広がり続ける。そして、やがて、沈む。
今日はいつもよりスプーン三杯分多めに粉を入れた。
インスタントな気分でインスタントな気分転換。
なのに、いつもよりコーヒーが濃かったのかすら分からない。
バカ舌だから。
バカが世界にバカ舌を出す。
あっかんべぇー。

 

[音楽]『Super Shy』NewJeans

鋭く可愛い。修辞的に何かたくさん褒めることも出来そうな気もするけどそれらは全て野暮でしかない。とにかく鋭い可愛さが突き刺さってくる。無駄が無いって素晴らしい。

 

[音楽]『スカフィンのうた』中村佳穂

音楽って自由だし自由って最高に楽しいね! という気持ちにさせてくれる。