ありがとうを忘れた子は一人では生きられません

ありがとうを思い出すまで幸せは来ない

 

今日から五月。

眠い。とっても眠い。異様に眠い。夢の中でも眠い。
もしかしたらこれも夢の中の出来事かもしれない。

書きたいことが幾つかあるけど体力がない。

アイドルに興味があって最近はアイドルについて調べたりしてるけど書くと長くなりそうなので体力的に今日は無理だなと思う。

自分的には仲直りしたかったけど相手に全くその意思がないので諦めるということが年末年始くらいにあった。
その人の書く文章がとても好きだったので今でも読みたいと思うのだけれどストーカーには成り下りたくないので読まない。
だから今は何をしてるのか元気なのか今でも文章を書いてたりするのか知らない。
そういうことが増えていくのが生きていくってことなのかもね。
忘れられないんだろうけど思い出さないみたいな感傷。

ドラマを少し観た。
ラストマンー全盲の捜査官ー』とか『合理的にあり得ない ~探偵・上水流涼子の解明』とか。
どっちも悪くないので時間と体力が許す限りは観たいと思う。

アニメは観たはずだけどよく覚えてない。
スキップとローファー』が良かったので漫画も取り敢えず4巻まで買ってみた。
あとはなんだろ、思い出したら何か書くかも。

漫画も何冊か買ってあるので近いうちに読みたい。

 

[本]『かわいそ笑』梨

上手いなと思うけど上手いな以外の印象がないかな私には。演出とか構成とか情報の出し方とか伏線の張り方と回収と投げっぱなしにする部分のバランスも。ただその上手さは自分が思う恐怖とか自分が求めるホラー観とは余り結びつかない。上手いですねとは思うけど。実話怪談にリアルさとか私は全く求めないんだけど、ここまで上手く構成されてしまうとフェイクドキュメンタリーというかルポルタージュ的な手法のフェイクさが目立って普通にフィクショナルなホラー小説でしかなくなってしまうのは勿体無いというか物足りない。でも今のニーズには凄く合ってるとは思う。一文だけ取り出すと意味不明なことが書いてあるように見えても因果関係とか原因と結果のような理屈が見えてしまうと私は冷めてしまうのだけれどホラー映画の感想なんかを読んでても思うけど今の人たちはこういう考察できる余地のあるものを好むので、そういう意味でも戦略的で上手いなと思う。私にはその上手さが余計だと感じてしまうだけで、それはただ単に好みの問題でホラーに何を求めてるのかということなんだと思う。私は意味不明なことが意味不明なまま投げ出して合って考察や理解が及ばない因果の埒外にあるようなものを好むので。時代設定こそインターネットというかSNS黎明期みたいな感じだけどホラーの時代性や流行りにおいて「いま ここ」な空気感を肌感で感じるのにはうってつけの作品だと思う。

 

[本]『紗央里ちゃんの家』矢部嵩

前述の『かわいそ笑』とは打って変わって下手。下手というと語弊があるけど物凄く良い意味でどうでもいい。もはや無敵さすら感じるどうでもいいことに支配されている。作られた狂気とか頭がおかしいみたいなのって「どうだ頭オカシイだろ」ってこれ見よがし感があったり私は冷めちゃうことが多いんだけど、これは本当にそれ以外の部分がびっくりするほどどうでもいいことで出来上がっていてどうでもいいことにどうでもいいことが積み重なって徹頭徹尾どうでもいいことしかなくてもうホント完璧にどうでもよくて凄い。どうでもいいということが本当に本気でどうでもよくて良かった。ホラーとして怖いかと言われれば「全然怖くは無い」と答えるけど、でもこういう理屈も通用しない考察すらどうでもいい波で押し流してしまえるどうでもいい作品は凡百のホラーよりよっぽどホラーしてて私は好きです。それすらもどうでもいいし、どうでもいいって無敵すぎる。