愛されることを知らない まっすぐな犬になりたい

「どうせ」という言葉自体に思うことは何もない。
良い意味も悪い意味もそれ自体にはないから。
ただ自分が使うときに「どうせ」に含ませてしまう言い訳が良くない。
諦観はまだ良い、でも、言い訳がましいのはいただけない。
どうせ誰も読んでないし、どうせ自分の為に記録してるだけだし……etc.
手を抜くのを正当化する為だけに前置きで言い訳をして「どうせ」と使ってしまう。
そのことを反省する。

今、ハン・ガン『そっと 静かに』を静かにゆっくり読み進めていて、丁寧に書くということを改めて思い知っている。
書く日数が極端に減ったとしても丁寧に綴ることを目標にしたい。
書くことがないとしてもなるべく記録することの方を優先していたけど丁寧に書くことを優先して時間的なことでは無く気持ち的なことで書けないときは書かないで良いのだと思う。
それこそ誰も読んでないのだから、自分の為に。

昨日は作業が早めに終わったので某忘年会のようなことをした。
ルパン三世カリオストロの城で怪我から目覚めたルパンが食べてる時みたいに食べ盛りに食べてやると意気込んだら友人が「腕白な」と言ったので、ちょっとくすがったいような気持ちになりつつ嬉しくもなって語感の可愛さで小さく口の中で「わんぱく」と呟いた。
定食屋的な洋食屋に行って注文をして出て来たものは腕白の度を超える量だったので食べ切れなくて友人に食べてもらった。
私の腕白はすぐ死ぬ。
働き盛りの男どもで繁盛する店の普通サイズは侮れない。
私は残さず食べるを信条としてるので瞳を閉じて反省するに至る。

反省してばかりの半生。

思い出が思い出に変わる前の、現在を永遠で薄く引き伸ばしたような瞬間がある。
甘酸っぱいんじゃなくて甘いような酸っぱいようなどちらでもあってどちらでもないような味がマーブル状に広がってるようなそんな感じの。
それは現実でも虚構でも幻想でもない。
夢の血を飲み干すような甘美の。
雨が雪に変わるような跳躍なんだけど、もっと、雪が桜になるような超越にまで至っていて切なく胸がとても苦しくなった。
これは、NewJeans「Ditto」のMVを観て思ったこと。


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こういう気持ちを、こういう感覚を信じて、忘れずに生きていきたい。生きききりたい。「き」が多くてもいいじゃない、ね、私。

 

[本]『Ladies and』平岡直子

Ladies and

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読み終えたのは大分前なんだけど良過ぎて何度も反芻して噛み締める度に良過ぎてでもその良さを全く言語化できる気がしないまま現在に至って、それで、言語化するのは諦めた。川柳とは言葉と言葉を瞬間接着剤でくっ付けてその瞬間で主語を圧死させてしまう魔術なんじゃないかと思った。錬金術のように言葉を対価に何かを生み出すシステムじゃなくて等価じゃないものが生み出されてしまう言葉と言葉を掛け合わせて世界を作るのとは違い言葉と言葉を掛け合わせたら空間が出来てしまうような感じなのかもしれない。よくわからん、いい意味で。言葉に寄って言葉に酔って言葉に縁って言葉だけが在る。その目 誰の目。

コーヒーゼリー誕生石を聞いたのに

木漏れ日のようね手首をねじりあげ

夜型の髪へ獅子座の匂い降る

金色に泣かないで知らない女の子

食べおえてわたしに踏切が増える

すぐ来て、と水道水を呼んでいる

湖に点滴をして青い針

心ではいつも砂糖を舐めている

大雨がくすぐったくて蝶が死ぬ