砕け散った瓦礫たちが星座を作るときはここにある

ほんの数分前(PCを立ち上げアプリを開くまでの間)には確かに書こうと思ってることがあったはずなのにいざ白い画面を見たら何も無いことに気付く。
何も無いというか何もかも忘れた。

怠けたわけでは無いけど怠った。
同じ漢字の同じ感じ。
でも、違う。

何を読んで何を記録してないのか何を買ったり借りたりして何を読んでいないのか分からなくなってきた。
何を聞いて何を記録してないのか何をダウンロードして何を聞いてないのか混乱する。
星の瞬きと稲妻の光を同じ速さで観測したい。
そういう期待と混乱が常にある。

視界の解像度が上がって(もしくは著しく落ちて)幽霊を視認できるようになるとする。
でも、その解像度が安定したら幽霊は日常化する。
概念として幽霊は存在しても感覚や認識として生きてる人との差異は薄らぐ。
例えば何かが抉れて連絡を取らなくなった人間も死んでしまった人間も繋がらないという意味では同じじゃ無いか。
そういう存在稀薄でインターネットも成立してる。

日記の書き方を忘れてしまった。
日記に書き方なんか存在しないけど自分が書きたいように書けてない気がする。
トレーシングペーパーで透かしてなぞっても理想の線にならないように
日常にもそういう幽霊の線みたいな感覚があって
私はそれが気持ち悪い。
違和感だらけだ。
理想の自分が無いのに理想の自分をなぞろうとする
いつまでも幽霊のような線が自分をぶかぶかによれた線として
世界に定着させようとして
私は。

首がないんだよ。

 

[漫画]『ミステリと言う勿れ』12巻 田村由美

つまらないというわけではないし面白いとも思う。けど、ある時期からずっと違和感が拭えない。最終的には繋がるんだろうけど今回は一応ラスボスめいた精神科医の話からは逸れてるのはいい、私は日常ミステリにラスボスとか一本の太い線みたいな事件や事情は必要ないと思ってるので、その面では単独のミステリになってて読みやすい。でも、初期には事件や犯人の動機や事情をミステリのフォーマットにちゃんと融け込ます形で含蓄は機能していたように思うけど最近は言いたいことが先行しててその肉付の為にミステリのフォーマットに無理やり流し込んでる感覚があって何というか説教臭いのだ。正当性のために多様性を謳うのはね、何かね鼻につくというか。ホットリーディングをコールドリーディングに見せてるような狡賢さを感じてしまう。もっとミステリとして普通に面白かったのにな。