こんな世界を満たしている ありふれた想いを さあ讃えてよ

書きたいことがない。
書きたくないことや書くべきじゃないことばかりがある。

何か記録したいものがある時のついでで書いてるから日記のみを綴るという癖がなくなってしまった。
日記なら日記の部分だけを書く場所があった方が書くのかもと思いつつ時間だけが過ぎてゆく。

気持ちや生活を人に見せる理由はない。
自分の頭や気持ちの整理のために書いてることが殆どだけどだったらノートや日記帳に書けば良いものでわざわざインターネットに記す意味について考え込む。
たぶん本来そのことにすら意味はない。

ただ書いてると頭がクリアーになる(気はする)。
気持ちは晴れないけど、そこは大事にした方がいいような気はしていて、そこに他人の目は必要だったりもする。

誰かが見てるかもと思えることで耐えられたり整えられたりする部分はあるから。
羽目を外さないという意味においても。

あとは嘘だけ書きたい。
日記でそれはやらないけど自分の精神衛生上で自衛のために嘘をつくことは必要。
死にましたって書いても嘘なら許されるし。
嘘を許さない人の潔癖さは理解できない。
嘘と不誠実は別の話。
騙すのと嘘も本質的には違う。
言葉の用途と相手との相互の話で対人じゃないなら嘘は嘘以外でも以上にもならないと思っている。
少なくとも私は。

虚構と嘘と幻想のツイッターをやろうかやるまいかずっと悩んでる。
今年はもっとちゃんとやりたいことをやって何かしら形にするを目標にしてるので最終的にちゃんと形にできるものがやりたいな。
ネットプリントでもいいし。

考えることばかりで身動きできないといつも通りになっちゃうから少しでも自分で頑張ったと思えるくらいには頑張りたい。

 

[本]『そっと 静かに』ハン・ガン

どう言えばいいのかな。素晴らしいとは思うけど自分が思う苦手なタイプのエッセイなのでどう表現していいのか分からない。他人の日記やツイッターなんかを読んでる奴が何を言ってるんだと思われそうだけど、それでも此処には人の日記を読んでしまったような後ろめたさがある。私はその後ろめたさが苦手でエッセイが基本的には好きじゃない。その人のパーソナルは商品や作品になってる以上は読まれる/読ませるために綴られているというのは根本的には理解できるんだけどその中でも余りにパーソナルだとどうにも居心地が悪くなってしまう類の繊細なものがあってこの作品は自分の中ではその部類に相当する。とてもデリケートでナイーブな思い出なのだ。ハン・ガンの人生に関わる音や音楽や歌に対する思い出や想いが少しでも触れれば壊れてしまいそうな怖さを持って閉じ込めらていて呼吸が苦しくなる瞬間が何度も訪れた。なので小説群を読むような感覚では味わえないけど、でも、だから、ハン・ガンがどうしてああいう小説群を書くのかそして綴り続けるのかが痛いほど得心できるエッセイでした。だから、私もきっと、その音に違いがないと分かっていても『そっと 静かに』のページをめくり、本を閉じた時の音を、そっと静かに覚えていようと思った。